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2010年4月 2日 (金)

女金次郎さん2

とらさんの事を調べていたら、もう一つ孝婦とらの像がありました。とらさんの出身地岡崎市古部(こぶ)町 旧額田郡古部村ということはわかったんですが、場所についてはまったく情報もなく、とりあえず行って聞くしかないと思い出かけました。

生平町で、たまたま寄った古いかやぶき屋根のお宅の男性にお聞きしたら、「分かりにくいからオレが連れて行ってやる」と言ってその人の車で案内していただきました。この方がとても面白い人で、なによりもよかったのが郵便局にお勤めだったせいもあり顔が広いというか会う人会う人みんなお知り合いのようで、思いもかけない色々なお話が聞けました。

たしかに自分一人ではとても分からないようなかなりの山奥です。村に入るところにとらさんの石碑が立っていました。

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「孝婦虎之閭」   「閭」という字を調べてみると「村の入り口」という意味があるようで虎さんの村の入り口、、、っていうことでしょうかね。

三差路になった道の角にいました。なにかよく分からない石碑の台座部分と道祖神が並んでいます。やはり案内していただいた方のお知り合いの家がすぐ近くにあったので、お聞きしたら以前学校の先生をやっていたそうで、お調べになった資料をいただきました。そして、とらさんの生家跡辺りに石碑があるというのでそちらも見に行ってきました。

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郷土偉人 孝婦トラ女像  昭和53年7月岡崎地方史研究会員 杉山二郎建之

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石碑の碑文は漢文で三面にびっしり書かれています。この碑文も元先生が調べた資料をいただきました。享保年間(1716年~1750年)にとらが43歳の時に孝行、善行したので庄屋さんが岡崎の藩主水野忠之氏に報告、ほうびをもらった、殿様没後もお寺にお参りに行った、、ということが刻んであるようです。

マキを背負って岡崎の城下まで売りに行こうとした時雨が降りそうだからゲタをはいて行きなさいと父親に言われたのですが、母親が天気は良さそうだから草履で行きなさいと言われ左右、ゲタと草履をはいて、親には逆らわなかったということを現わしているのが、この石像だそうです。

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上が生平小学校の虎さんで、下が古部の虎さんです。

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古部のナゾの台座と、小学校の石像についてはまた調べてみようと思っています。

今回はとてもいい人に巡り合ったおかげで、大変充実した調査になりました。

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