カテゴリー「二宮金次郎めぐり」の11件の投稿

2016年4月12日 (火)

豊田市の金次郎像

桜と金次郎  多分に思い込みですが、絵になるんじゃないかなー。

と言っても、必ずしも小学校の校門の横に金次郎さんが居て、またその横に

桜の木があるわけじゃないんです。

いい感じの所が少ないのが残念ですけど、、。

豊田市へ行ったら、有りました。いい感じの、、。

根川小学校

Nekawa

童子山小学校

Dojiyama

朝日丘中学校

Asahioka

残念だった。(ちょっと離れたところに桜があって、、)

高峰小学校

Takamine

もう一つ

竹村小学校

Takemura











2016年1月 9日 (土)

二宮金次郎像めぐり 28年 初

私が参考にさせていただいている「東三河を歩こう」というサイトの

「東三河の二宮金次郎像」で、四か所 新発見 !!がありました。 

ちょっと離れてるけどいつものように一気に。

名古屋→設楽町田口小学校→新城市出沢 龍泉寺→豊川市伊奈町 速須佐之男神社→

蒲郡市形原 諏訪神社→名古屋市  全行程220キロ。

① 北設楽郡設楽町 田口小学校   

三浦 茂 氏著「続・わが町の金次郎」に田口小学校の記事がありました。

<田口小学校は旧川向小学校・旧神田小学校・旧八橋小学校を統合し、
その後現在の場所に移転した。三校はすべて金次郎像があったが
旧神田小学校と旧八橋小学校は元の場所に校舎の建物も金次郎像も
残っているが旧川向小学校は更地になっていて何も残っていない。
現在田口小学校にある金次郎像の由来は不明なので、もしかすると
昭和40年に統合した旧川向小学校にあったのかもしれない>

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像高90センチ かなり劣化している。

② 新城市出沢 龍泉寺

今回見た中では出色の異形体。

先代住職が石像収集家?らしく境内は石のオブジェが多数ある。

4年前に亡くなられた住職が注文して造らせたのか、有りものを買ってきたかも

現住職にもわからないようで、ナゾだらけなのです。

山門の横にも自然石を彫り込んだレリーフ状の仏像もあり、いつか岡崎の業者に

聞いてみようと思ってはいます。

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像高45センチ 両隣の文字は読めない。

③ 豊川市伊奈町 速須佐之男神社

こちらも、ご近所で聞いてみたが由来などまったく分からなかった。

次の蒲郡の像もそうだが神社に置かれたものは時々見かけます。

地元のある意図を持った人が地元の神社に寄贈するのは考えられないことも

無いわけですね。ただ、あまりに時間が経ち過ぎてその事情などを知っている人が

居なくなっちゃってるということです。しつこく調べれば分かるんでしょうが、

そんな根気もないし、、。

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像高100センチ この顔はどこかで見たことがある、、。思い出せない。

④ 蒲郡市形原 諏訪神社

極めて珍しい光景に遭遇。正月ならではということです。

形原駅の北で、このあたりに 「二宮尊徳奉賛会」があり、この神社に

建立したと推察されます。実はこの日は、予定が入っていて、もうタイムリミット

だったので、本来ならもう少し調べれば二宮尊徳奉賛会なる組織もあることだし

かなり詳しい由来も分かったと思う。  残念。 いつか次の機会に。

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今年は三重県と岐阜県に出かける予定です。

だんだん遠くなる。

2015年5月 7日 (木)

最近の金次郎撮影行

4月後半から連休にかけて天気のいい日をねらって出かけました。

豊川市東部小学校は校舎改築中で、金次郎像は寝ていました。

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新築後、どこかに移転するようです。

寝てる金次郎像といえば、数年前に行った東栄町の古戸小学校跡の像も寝てました。

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これも先日行ったら立ってました。

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旧校舎の跡地に古戸地区の公民館前。

ついでに、東栄町足込地区の個人宅の金次郎も撮ってきました。

地元の公職経験者が昭和29年に建てた物です。ご当人は故人で、お隣の方に

いろいろ事情をお聞きしましたが、詳細はちょっと控えます。あまりにアレなので。

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あまりきびしい条件を付けられたので、豊川市のある場所としか言えないのがこれ。

これも実はすごい謂れがあるんですが詳細は控えます。

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時々情報をいただく方からの金次郎情報で、岡崎市松平東照宮にも有るということで。

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家康の先祖松平氏の発祥地、松平郷の東照宮。この右奥に。

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なかなか趣のある造形です。社務所の方にお聞きしても、地元の方に聞いてもまったくいきさつはわかりません。地元の人が建てたらしいということです。高さ50センチ。

5日に吉良町も行って来ましたが、四つ有る小学校すべてに金次郎像はありました。

他にも個人の家にある像やいろいろ撮影しましたがまた後日。








2015年1月19日 (月)

愛知県江南市北野天神社 筆まつり

愛知県江南市の金次郎像情報をいただきまして行ってきました。

1月18日(日)は愛知県江南市北野天神社 筆まつりでした。

北野天神社の脇に「願かけ牛の宮」という祠がありその前に小型の金次郎像がありました。

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小さな鳥居を腹ばいで括り抜け願掛けをします。

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社務所にいた氏子さんにお聞きしましたが、いつごろどういういきさつで建てられた

のかは、まったく分からないが、天神さんということで学問に関係してあるからじゃ

ないのか、、ということです。祠の裏に昭和55年初老記念の揮毫があり、それ以降だと思われます。

像の形状の印象では、最近の建立で数が多い中国製ではないかと推察されます。

ちょっと他ではあまり見られない妙な表情や頭部の形が特徴です。

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筆まつりは学問の神様の北野天神社ということで、二本の筆の巨大な石彫刻があります。

すぐ横に大きなすずりがあり、そこの水を使って石の筆に字を書いて上達を願うということのようです。

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小型の火の見櫓が鳥居の横に。

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基部幅80センチ高さ7.5m

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2時半からパレードがあり、長さ4m重さ50㌔の巨大な筆を乗せた御所車を曳いて

町内をパレードします。

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帰りに見かけた江南市消防署の火の見櫓のオブジェ

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おまけ  サーキットの狼  ロータス ヨーロッパ    岐阜県坂祝小学校前

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2011年4月12日 (火)

桜と金次郎さん

小学校の入学式に合わせたかのように桜が満開になりました。

自然は、何があろうと、、、。 桜は特別な感慨がありますね。

桜と金次郎さんは実によく似合う。ということで知多半島をグルッと廻ってきました。

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東海市 名和小学校 正門の横という「正しい」有り方です。毎日登校してくる生徒を見守っているという、、。

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東海市加木屋小学校

近年 校舎の建て替えで 旧正門から南側の新正門に移動していました。

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半田市 乙川小学校

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半田市 半田小学校  今回の撮影行で最も桜が多い小学校。ただ、南向きの正門の横に建つ金次郎像は昼ごろには逆光となってしまいます。きれいな色がなかなか出ない。

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南知多町 豊浜小学校 こちらも正門からグランドに移動され周りに桜はありません。

ちょっと微笑んでるような金次郎さん

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後ろ姿 薪の上に斧も表現している。

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南知多町 山海小学校 正門横  桜はありません。

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美浜町 旧小野浦小学校跡

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野間灯台

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美浜町 奥田小学校

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常滑市 小鈴谷小学校

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知多半島を東海岸から南知多町へ、西海岸を北上というコースです。

改めて二宮金次郎像をこれだけ並べてみるといろんな顔がありますねー。

新入学児童が金次郎についてのお話を聞く機会があるのかどうかは分かりませんが

この時期だからこそ報徳思想を勉強させるべきだと思います。

未だに戦時教育の弊害や恐れを声高に言う人達がいるようですね。

二宮金次郎全生涯を調べてみるとつくづく「今」必要な思想だと痛感しています。

2010年8月16日 (月)

奥三河ぶらり 2

昨年(2009年)11月に行った鳳来町 海老(えび)地区の火の見櫓が無くなってるという情報で、確認に寄りました。なかなかバランスのいい三本脚の火の見だったんですが残念です。

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下が2009年11月撮影

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県道435号線で海老に入り32号線で神田方面へ、、。途中棚田百選に選ばれた大代の棚田。四谷千枚田。後ろの山から谷に明治37年、大雨が続き山津波ですべて流されそのあとに棚田が作られたもの。実際は1300枚ほどあるという。

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神田(かだ)から国道473号線・257号線で田峯(だみね)へ。以前行った田峯小学校に寄ったら、なんと耐震工事中ということで、外観を残して内部で補強しているそうです。

全校生徒15名の複式授業をしてる木造校舎の学校を耐震工事で残そうという設楽町には驚きますね。屋根は軽い瓦に変わっていました。かなりの予算が必要だと想像されるだけに今時、、ねー。すばらしいことです。

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金次郎像は昭和11年、田峯報徳会の寄贈。 高さ90センチ。

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外壁は板張りですが、窓はやはりアルミサッシとなっています。しかし教室の引き戸はしっかりしとした建具がはいっていました。

帰りは国道153号線で豊田市方面に帰ったので 、以前撮影して気になっていた越戸の「灰宝神社」の巨大な金次郎像を撮ってきました。

隣の私の身長は170センチ。金次郎さんは2m20㎝。詳細は不明ながらこの地区の成功者「前田栄次郎」という人が寄付したらしい。機会をみてまた調査に行く予定です。おそらく金次郎としては最大じゃないのかな、、と思いますが、、、。下の写真じゃ実感がありませんが、、。

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合成写真じゃありませんよ。 とにかくでかい。

出かける度に新しい疑問が出てきて実に面白いですね。

2010年5月17日 (月)

三重県 多度・員弁(いなべ)

愛知県から三重県北部(多度・員弁)に行くには木曽三川を渡らないといけません。今回は木曽三川公園の立田大橋を渡りました。

このあたりは愛知県・岐阜県・三重県の県境ポイントで、エーッここが愛知県?ってところがあります。それがここ、国の重要文化財「船頭平閘門」。木曽川と長良川の行き来に水位の高低差があるために作られたもの。たまたまジェットスキーのおじさん達が通過するところでした。管理は国土交通省の管轄で、年中無休午前8時半から午後5時までは、ぶら下がってる鐘をならすと無料で利用できます。名古屋市内にも堀川と中川運河の間で松重閘門がありました。

Dsc_2600 松重閘門

船頭平閘門は明治35年竣工と歴史のあるものです。この鐘を鳴らすとおじさん(国土交通省の外郭団体に雇われてる)が操作してくれます。

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調整部分に入ると扉が閉まり隣(長良川)の水位と合わせるため水が抜かれます。

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水位が下がると長良川の門が開き出て行きます。

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潮の都合で水位は変化するそうですが、2m近く下がりましたね。

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木曽三川公園は、江戸時代(宝暦年間)に、幕府が薩摩藩に命じてやらせた木曽三川治水工事で作られた堤防です。関ヶ原で西軍側についた薩摩藩を幕府が脅威に感じ国力をそぐ目的もあったといういかにも徳川のやりそうなことですね。現代の技術でも難工事だと思われるんですから相当なものだったということです。千本松が当時の様子を彷彿とさせます。

薩摩藩士の犠牲者を弔った治水神社です。

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Dsc_2078 千本松

橋を渡ると旧田度町。

ここの旧多度小学校は、昭和8年建築。当時斬新な建築様式でした。老朽化で昭和57年新校舎竣工で多度川のほとりに移築され多度町郷土館として利用されています。当時からあった金次郎さんもみごとに玄関横にいました。

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多度西小学校にはナゾの少女像。

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もちろん金次郎さんもいました。

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多度といえば「多度大社」5月4日・5日に行われる「上げ馬神事」です。この坂を少年が乗った馬が駆け上がるわけです。

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この神事の前に馬と少年がみそぎをする「宮川清めの池」の横に火の見櫓。

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多度の西は員弁(いなべ)。1144mと鈴鹿山脈の藤原岳のふもとに三岐鉄道三岐線の終点「西藤原駅」。藤原岳の登山口となっています。三岐鉄道は藤原岳からのセメント輸送の鉄道でした。

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Dsc_2306 藤原岳

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腕木式信号機は現在使われていない

Dsc_2421 西藤原小学校

Dsc_2471 治田(はった)小学校

Dsc_2550 石榑(いしぐれ)小学校

Dsc_2619 旧三里小学校

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三里小学校の前にこんな火の見櫓が。ここは旧大安町。

最後に員弁東小学校。

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この学校のすぐ横を三岐線が走っています。

ちょっといい感じでしょ。

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三重県は今回初めての撮影でしたが、自然が豊富で山・川がすばらしく美しくこれからが楽しみになりました。

2010年4月 2日 (金)

女金次郎さん2

とらさんの事を調べていたら、もう一つ孝婦とらの像がありました。とらさんの出身地岡崎市古部(こぶ)町 旧額田郡古部村ということはわかったんですが、場所についてはまったく情報もなく、とりあえず行って聞くしかないと思い出かけました。

生平町で、たまたま寄った古いかやぶき屋根のお宅の男性にお聞きしたら、「分かりにくいからオレが連れて行ってやる」と言ってその人の車で案内していただきました。この方がとても面白い人で、なによりもよかったのが郵便局にお勤めだったせいもあり顔が広いというか会う人会う人みんなお知り合いのようで、思いもかけない色々なお話が聞けました。

たしかに自分一人ではとても分からないようなかなりの山奥です。村に入るところにとらさんの石碑が立っていました。

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「孝婦虎之閭」   「閭」という字を調べてみると「村の入り口」という意味があるようで虎さんの村の入り口、、、っていうことでしょうかね。

三差路になった道の角にいました。なにかよく分からない石碑の台座部分と道祖神が並んでいます。やはり案内していただいた方のお知り合いの家がすぐ近くにあったので、お聞きしたら以前学校の先生をやっていたそうで、お調べになった資料をいただきました。そして、とらさんの生家跡辺りに石碑があるというのでそちらも見に行ってきました。

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郷土偉人 孝婦トラ女像  昭和53年7月岡崎地方史研究会員 杉山二郎建之

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石碑の碑文は漢文で三面にびっしり書かれています。この碑文も元先生が調べた資料をいただきました。享保年間(1716年~1750年)にとらが43歳の時に孝行、善行したので庄屋さんが岡崎の藩主水野忠之氏に報告、ほうびをもらった、殿様没後もお寺にお参りに行った、、ということが刻んであるようです。

マキを背負って岡崎の城下まで売りに行こうとした時雨が降りそうだからゲタをはいて行きなさいと父親に言われたのですが、母親が天気は良さそうだから草履で行きなさいと言われ左右、ゲタと草履をはいて、親には逆らわなかったということを現わしているのが、この石像だそうです。

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上が生平小学校の虎さんで、下が古部の虎さんです。

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古部のナゾの台座と、小学校の石像についてはまた調べてみようと思っています。

今回はとてもいい人に巡り合ったおかげで、大変充実した調査になりました。

2010年3月10日 (水)

小学校の閉校

この時期、年度末には過疎地の小学校の閉校のニュースが流れます。たまたま岡崎市の旧額田町あたりに出かけたら、なんと三校も閉校になるようです。

北部の「千万町(ぜまんじょう)小学校」、と「大雨河(おおあめかわ)小学校」そして「鳥川(とっかわ)小学校」。

千万町小学校は児童数5名 閉校後は宮崎小学校に統合される。校舎は地域コミュニティーとしての利用を希望している。校舎の前に石像の金次郎さんがいました。ちょっと首が長くスマートな感じです。首のあたりにハチの巣かなにかが、、。

Dsc_4004 「ぜまんじょう」と読みます。

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Dsc_3992 像高1m

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次に「大雨河小学校」は児童数13名、こちらも閉校後は宮崎小学校に統合される。校舎は歴史資料館や自然体験館としての利用を計画しているようです。一部木造校舎も残っており、炭焼き体験もあるし周りを川(乙女川)の清流が流れていて自然体験には最高の環境です。金次郎さんは木造校舎の前にあり、像高90cm。なにか悩んでるのか苦悩の表情なんですよね。

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最後に「鳥川(とっかわ)小学校

児童数6名、ほたるの里として保護に力をいれているのにもわかるように、かなりの山の中で学校の周りのも家はまばらです。木造の体育館が現存しています。閉校後は豊富小学校に統合されます。この学校には金次郎さんはいませんでした。40歳くらいの卒業生の方にお聞きしても昔から無かったということでした。教室をのぞいたら教卓の前に小さな机がひとつ。マンツーマンですね。たった一人の卒業式をむかえる現6年生の子供さんに会いましたが淋しそうでしたね。

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いずれも統合後の小学校まではとても歩いての通学は無理ですから各町で通学バスを出すということでした。時代の流れといえばそうなんでしょうが地元の皆さんは皆残念がっておられました。

2010年2月17日 (水)

女金次郎さん

最近は三河の山間地の小学校めぐりをしています。

岡崎市東部の生平(おいだいら)小学校に行って来ました。

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さて、金次郎さんはどこかな?  アッいたいた、、、。

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アレ?なんかヘンだぞ、、。

近づいて見ると、コッこれは、、、、。

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下に何か書いてあります。

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「孝婦虎像」  なんじゃこりゃ。

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あきらかに女性でしょ。でもマキしょってるし。

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で、帰って調べてみました。

「孝婦」というのは親孝行の婦人、虎(とら)は名前でした。

元禄3年生まれ、親孝行で八代将軍徳川吉宗の時の老中岡崎藩主水野忠之からほうびをもらった。貧しい中でマキを売って生活の足しにしていた所、父親が病でたおれ、その薬を往復14里の道を通って買いに行ったのを、水野の家臣が知り忠之に報告。二代にわたりほうびをいただいたという故事が伝わっている。二宮金次郎より百年も前の話なんですね。出身地の古部村に明治時代に石像が建てられ、その後昭和53年に生平小学校の出身者11名でこの石像が建てられたとのことです。

孝婦は各地にいたようですが、石像になってるのは珍しいと思います。

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